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【大学入試】知識偏重からの新評価指標「主体性」について

大学入試の主体性評価

こんにちは!

KEN(@nomilenolife)です。

本ブログでは、受験や進学に関する情報および人生に付加価値を与えるような情報を、「受験・+More」というカテゴリーの記事でご紹介しています。

今後、大学入試が変わるらしいけど、どうすればいいの?

読者の方からこのようなご意見を頂戴したため、本記事では新たに変わろうとしている「教育改革」について考察していきたいと思います。

これまでの大学入試

はじめに、これまでの大学入試で求められる力を考察してみましょう。

【センター試験】
知識を詰め込み、アウトプットする力

【2次試験】
論理性や思考力・発想力

このような力が求められるため、レベルの高い大学へ行くためには「幅広い知識のインプット」と「インプットした知識をベースに論理的に思考する力」のような知識・技能をバランスよく培う必要があります。

KEN
KEN
賛否両論あると思いますが、個人的には合理性も平等性もあり、決して現行の入試制度は悪いものではないと思います。

これからの大学入試

これまでの大学入試では、どれだけ多くの知識をインプット・アウトプットすることができるかで、能力の優劣を決めてきました。

しかし、文部科学省は「AI」などの発達により、「知識偏重型」の従来の入試を改革しようとして、2021年より「大学入学共通テスト」の導入を決定しました。

大学入学共通テストにおける、従来の大学入試センター試験からの主な変更点は以下の通りです。

主な変更点

・英語リスニングの比重が増加

・国語や数学で一部「記述式問題」の導入を検討(現時点では頓挫)

・知識偏重でなく、主体性考える力を培う試験問題を検討

大学入試で主体性ってどういうこと!?

この「主体性」という評価指標について、次の章で考えてみたいと思います。

主体性を評価することの問題点

大学入試で主体性を評価することは、いくつかの問題点が考えられます。

本章では、具体的に3つの問題点を取り上げていきたいと思います。

「考える力」のある教師がいない

1つ目の問題点は、「考える力」のある教師がいないということです。

まず、日本の教育現場に「考える力」を持った教師がどのくらいいるでしょうか?

日本の学校教育の特徴をまとめてみましょう。

・一部学生の問題行動を、学年やクラス全体の連帯責任にする。

・同調圧力と集団主義が強く、反発的な生徒を怒る対象にする。

・規則やルールにうるさく、自分の意志で考えさせることをしない。

・異なる意見は村八分のような扱いで排斥し、空気を読むことが美徳。

本来、生徒が優れた考える力を培うためには、より優れた思考力を持つ人間が教育する必要があります。

しかし、日本の教育現場では教師同士でいじめをしたり、いじめに遭う生徒の悩みをまともに聞こうとせず、気づいた頃には自殺に追い込むようなことがあちこちで起きています。

このような環境で、柔軟かつ優れた思考力を育成できるような人材が果たしてどれほどいるのか、疑問です。

KEN
KEN
どうやって日本の教師が思考力を教えるのか、見ものですね。

知識がないのに思考しても意味がない

2つ目の問題点は、知識がないのに思考しても意味がないということです。

大学入試において、「主体性や思考力を重んじる」というのは悪いことではありません。

しかし、どうやって試験で思考力を図るのでしょうか?

現行の入試では、知識偏重で暗記さえすればある程度の学力を身につけることができます。

そのため、「お勉強はできても、考える力の弱い人材」を生み出すという弊害があります。

KEN
KEN
職場などにも、お勉強しかできないタイプの人っていますよね。

たしかに、いくら知識だけを詰め込んでも、それらをベースに柔軟に物事を客観視して考える力がなければ、その知識は「無用の長物」です。

しかし、それは逆も同じです。

いくら思考しようとしても、思考の基礎となる「知識」が脳内に蓄積されていなければ、そもそも何も考えられません

新形式の入試では、主体性を図ると言っています。

しかし、現行の大学入試でも難しい大学に行くためには、同年代が遊び呆けている時期に自らの意思で勉強しなければなりません。

知識を詰め込むという、「苦痛を伴う作業に耐えうる能力」というのも、十分に本人の主体性として捉えることができそうですが、大人たちは何が不満なのでしょう。

「良い子ちゃん」が得をする

3つ目の問題点は、「良い子ちゃん」が得をするということです。

主体性という意味の分からない評価指標では、明確な基準を設けて他者と比較することはできません。

その結果、たとえば以下のようなことが評価指標になる可能性が高いのではないでしょうか。

・課外活動での表彰経験

・部活動のリーダー

・ボランティア活動への取り組み

…これって、何かに似てませんか?

KEN
KEN
就職活動のガクチカのような、くだらない茶番劇と一緒ですね。

本来、大学入試は入学試験で合格点を取ることさえできれば、どんな経歴・背景の受験生も合格できるものです。

しかし、点数ではなく「主体性」という目に見えない評価指標を合否に使うということは、「人間の好き嫌い」や「異端児の排除」といったバイアスがかかり、本来の入試制度のあるべき姿ではなくなる恐れがあります。

まるで、就職活動における「アピール合戦」のような茶番劇と同じことを入試で行うということは、「企業に就職させること」しか大学が考えていないということになります。

本来、大学とは学問を修めて研究成果を社会に還元する機関です。

このままでは、ただの「就職予備校」となる日も時間の問題でしょう。

KEN
KEN
情けない話ですが、これが現実なんですね…。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

本記事では、新たに導入が検討されている大学入学共通テストで求められる「主体性」という評価指標について、その問題点などを考察してきました。

先進諸外国が「博士号取得」や「専門性を身につけること」に重きを置いている中、入試制度の改革も中途半端で、受験生を混乱させている日本の教育現場には呆れて言葉を失います

しかし、社会を個人の力で変えることはできません。

KEN
KEN
本記事を最後まで読んでくださったあなたが、ご自身にとって満足のできる選択をされることを願っています!

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